藤本怜央(ふじもとれお)選手は車いすバスケットボールの選手で、2020年の東京パラリンピックの車椅子バスケットボールに出場を目指しています。2020年1月時点ではドイツのハンブルガーSVというチームに在籍しプレーしています。
藤本選手ですが小学校3年生の時に交通事故(11tダンプカー)で脚を轢かれてしまい、それ以来車いす生活を送っています。
それまでの藤本選手はサッカー少年でしたが、右足を切断してしまいました。
そんな藤本選手に車いすバスケが希望を与えてくれたとのことです。
車いすバスケをすることで、自分で走れることのできないスピードで走れること、接触して転んでもすぐに立ち上がってプレーするなどご自身が味わったことがないスポーツの感動を車いすバスケットボールで初めて感じたとのことです。
目次 Contents
藤本選手のパラリンピック出場歴
藤本怜央(ふじもとれお)選手ですが、車いすバスケを始めて1年でアテネパラリンピックに出場しました。
・2004年アテネパラリンピックは8位。
・2008年北京パラリンピックは7位
・2012年ロンドンパラリンピックは9位
・2016年リオデジャネイロパラリンピックは9位
このように藤本選手はパラリンピックに4回出場しましたがメダルを獲得することはできませんでした。
ご自身では24時間、四六時中バスケットをすればメダルを取れるのではないかと思いつつも現実的には日本ではそのような環境がないと判断して、2014年にドイツに行き、ドイツリーグのハンブルガーSVに移籍してプレーをしました。
ちなみに、2020年の1月時点でもハンブルガーSVで試合に出場しています。
なお、ドイツはパラスポーツ先進国と呼ばれています。
パラスポーツの先進国ということもあり車いすバスケットボールの試合でも観客が入り、車いす用の観戦エリアも設けてあり、さらに、車いすのボランティアスタッフの方もいるとのことです。
自宅の家賃や光熱費は無料で生活できており、病院には障がい者も利用できるトレーニング施設もあるとのこと。
そのような環境でプレーできましたが、2016年リオパラリンピックの前に右ひじを怪我してしまい、ひじが曲がらない、状態になってしまったとのことです。
プレーできなかったとのこと、顔すらも洗えない状態でした。
リオパラリンピックでは9位でした。
このような結果と怪我をしたことから「壊れてまでやって何が残ったんだろう」と思ったそうですが、自分のために何かを犠牲にして同じ覚悟で戦おうとしている人(=奥様)が近くにいることに気が付いたそうです。
そこで1人じゃなければ戦えるかもしれないと思い、2017年に右肘を手術しました。
また、それまではドイツで単身で生活していましたが、奥様をドイツに呼び、二人三脚で生活することを決め、メダルを目指すことを決めたそうです。
肘に負担がかからないようにシュートフォームも改善し、2018年から2019年のシーズンにかけてはチーム内での得点王にもなりました。
2020年に金メダルを獲得することが最大の恩返しだと思っているとのことです。
藤本怜央選手のプロフィール
生年月日:1983年9月22日
出身地:静岡県島田市
高校:島田工業高校
大学:東北福祉大学
所属:SUS株式会社
所属チーム:宮城MAX
大学卒業後は、宮城県職員として働いており、車椅子バスケットボールの宮城MAX(みやぎまっくす)に所属していました。
さらに、2014年4月に障がい者アスリート雇用制度を利用して静岡のSUSに転職しています。
SUS株式会社では藤本選手のオフィシャルブログも掲載されていました。
最後に
東京パラリンピックへの出場とメダル獲得を目標にされている藤本怜央(ふじもとれお)選手ですが、怪我無く東京パラリンピックを迎えてほしいと思います。
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